令和元年に開業し、たくさんの方のカウンセリングを実施していると、
「現代社会で生きづらさが増した」と感じている人がとても多いのがわかりました。
私もその一人で、アダルトチルドレンとHSS型HSPに悩まされていました。
27歳までアダルトチルドレン、HSS型HSPであることを知らずに、
根本的な原因もわからず、生きづらさに長年もがき苦しんでいました。
もっと早くアダルトチルドレンであることを知れていれば…
もっと早く生きづらさの根本的な原因がわかっていれば…
このように考えることは今でもあります。
そしてアラフォーになった今でも完全に無くなったとは言えません。
嫌なことがあればガッツリ落ち込むし、納得行かなくてモヤモヤすることもあるし、人間関係のトラブルもあるし、将来の不安もあります。
特にアダルトチルドレンの「完璧主義」と「感情を隠す演技」は中々完全には無くなりません。
私はその「短所」で合った部分を「長所」にするために「使い方」を変えました。
完璧主義は
- 計画を立てる時には使用しない、早めに動き出す
- 他人に対して使用しない、他人をコントロールするのは非常に困難
- 何か失敗をしたときに、繰り返さないための対策を考える時に使う
感情を隠す演技は
- 100%での使用はしない、本音と演技の割合を調整する(本音50%建前50%など)
- 感情を隠したくなった時はメリットとデメリットをしっかり考える
- メリットが勝つならやる、デメリットが嫌ならやらないとルール化
このように頑固な癖は消えてくれないのであれば逆に活用してしまう。
なんてったって数十年続けてきたことだから、能力値自体は身に付いている。
剣も筆も使い方次第だと考え方を緩めました。
その結果、今では自身の長所であり短所でもあるから使い方を気を付けようというところで考え方は落ち着き、ネガティブ感情に支配されることはほとんど無くなりました。
自信の経験から、同じような思いをしている人の手助けをすることが今までの人生を有効活用出来る方法であり、過去がただの嫌な思い出ではなく乗り越え済みのハードルに変わると考え
カウンセリングルーム「自分LIFE」を主宰することになりました。
いまでは人生を楽しむことが出来ていますが、自分がアダルトチルドレンだと気付く前は地獄でした。
アダルトチルドレンだと気付き、自分の本音と向き合えるまで学生時代から毎日「自分・社会・世の中すべて」に絶望していました。
人間なんか大嫌いだし、本気で世界が滅亡すればいいと思っていました。
「絶望への転落」
私のこれまでの人生を一言で表すのならば、上記の言葉が一番ふさわしかったと思います。
終わりのない下り坂を転げ落ちているようでした。
一番下まで落ちたからあとは上がるだけだ!と前向きに頑張ってみてもまだ底ではなく、更に転がり落ちていく。
そんな経緯をプロフィールとしてまとめてみました。
少し長くなってしまいましたが、ご興味があれば読んでください。
※当ルームの支援は医療行為ではありません。症状によっては医療機関の受診や併走をおすすめします。
・年齢 : 30代後半
・調理師専門学校卒→飲食業→自営業
・転職10回以上経験、ニートも経験
・一番後悔しているのは人間関係リセット癖
・バツイチ再婚
・アルコール依存症、AC、適応障害を経験
・27歳でHSS型HSP、アダルトチルドレンであることが発覚
・30歳で一般社会に属していると私の悩みは消えないと考え独立、開業
機能不全家族だとは外から見えない家庭

私の育った家庭ははっきり言って外から見ると、とてもまともな家だったと思います。
職人気質な会社員の父と専業主婦の母、長男の私と妹の一般的な家庭でした。
寡黙で育児に非協力的な父親
父は簡単に言うと「昭和の亭主関白」がそのまま皮を被って歩いているような人でした。
今の時代で考えると「パワハラ、モラハラ」でほとんどが構成されているような。
何かで泣いていた時に「耳障りだから声を出して泣くな!」と一喝されてから泣くことが出来なくなりました。
それからは何をするにも父の一挙手一投足にびくびくしながら、
どうふるまえばよいのか、
どうやったら叱られないか、
ばかりを考えて生活していました。
機嫌が悪いときにはおどけて機嫌を取ろうと無理やりふざけた振る舞いをしたり場の空気に異様に過敏になっていました。
大人になってから思い返すと、物心ついてから父親に褒められたことは一度もありませんでした。
過干渉でたびたびヒステリックを起こす母親
母は典型的な「過干渉タイプ」でした。
ことあるごとに口出しをしてきて、自分の思うようにならないとヒステリックに怒りだして手が付けられなくなる。
他の家の子と常に比べられ、何をやっても否定ばかりされる毎日でした。
友達関係から何から何まで管理され、雁字搦めにされていました。
しかし1歩外に出ると「良妻賢母」で人当たりもよく同級生のママたちからはとても頼りにされているような人でした。
学校で「こんなことが家であって辛かった」という話をしても、あんなに良いお父さんお母さんなんだから高原君のことを考えてのことなのよ。
どの先生や友達の親に相談してもこのような返答しか返ってこず、
他人に相談しても無駄なんだな。と小学生ながらに悟りました。
当然反抗したところで無駄だと思っていたので、「反抗期」というものがありませんでした。
大人になってから思い返すと、母親からは「愛」に関しては受け取っていたと思います。
なんだかんだずっと味方ではいてくれました。
ただ、その「愛」が私の選択肢を奪い続け、「呪い」に変わっていました。
他所から評価されると両親の機嫌が良くなる

そんな両親が共に機嫌がよくなる唯一の方法がありました。
私が他所から評価された時だけ、褒めてもらえるのです。
- テストで良い点を取ったとき
- スポーツで良い成績が出せたとき
- ボランティアなどの活動に参加したとき
「期待に応えると家庭が平和になるから」
「自分が叱られないため」
そのためだけに、必死に勉強や練習に励みました。
良い結果が出せて当然。
悪い結果になれば叱られるので本当に死に物狂いでした。
おかげで学生時代の私の評価は「スポーツ万能、成績優秀、模範的生徒、親に反抗せず良い子」とかなり高い評価でした。
毎回学級委員や生徒会役員を務めるような生徒でした。
この頃には、今後10年以上苦しまされる凝り固まった考えが出来上がっていました。
- 「人に評価されなければ自分の存在価値はない」
- 「失敗をしてしまったら二度と評価してもらうことはない」
- 「出来ないことを恥ずかしいと思わなければならない」
私が学生時代から感じ続けていた生きづらさの根本的な原因はコレでした。
友達が一人もいない高校時代

学生時代もずっと先生方の評判は上々でした。
しかし、友達は一人も出来ませんでした。
コミュニケーション自体は得意だったため、完全にひとりぼっちでは無かったですが、友達と呼べる相手はいませんでした。
先生や目上の人の評価を第一に考え、模範生徒を演じるための努力はいつも惜しまなかった。
まさにクレヨンしんちゃんのキャラ「ぶりぶりざえもん」の悪い部分だけを切り取ったようでしたね。
中学時代のあだ名は「コウモリ」
高校時代のあだ名は「正義マン」
から付けられたようです。
二人組作る時や、修学旅行の班決めとか地獄でした。
部活の練習や勉強を言い訳に出来るだけかかわらないようにしていました。
心機一転、なんとか変わろう。専門学校デビュー!

専門学校に進学し、高校時代と同じ孤独な思いをするのは嫌だ
千葉から出て東京へ進出!過去を知ってる人は誰もいない。これはチャンスだ!
専門学校デビューをしようと思いました。
友達が出来、クラスのグループにも入ることが出来ました。
しかし、高校時代に言われたことが頭にずっと引っかかっていて、
「信用できないやつだと思われているんだろうな」
「どうせ自分なんかに本音で話してくれることも無いだろう」
と自分が傷つかないために無意識にフィルターをかけて、
嫌われないために自分の本音を押し殺して、相手に合わせた人間を演じる。
こうすることによって、同じ立場の人とも仲良くなれたように感じ、孤独感が少しだけ和らいだ気がしました。
コミュニケーション能力と擬態能力が優れていたため、なんとなくそれでも上手く出来てしまったのを成功体験として覚えてしまいました。
孤独感が消えない

専門学校デビューで、なんとか表面上だけでも「友達」を作ることに成功はしましたが、
いつまで経っても孤独感が消えない。
表面上は優等生でどっかしらのグループにも所属していて、遊びに行ったりも出来ている。
でも、心はずっと空っぽ。
その当時のグループで2人組を作る機会があり、奇数なら100%余っていたと思います。
それくらい居ても居なくてもどちらでも良い存在。
結局相手に評価されているのは、
本音にフタをしてその人が気に入りそうな風に演じているだけの私。
本当に自分のことをわかってくれる人はいない
自分は人とは一生、仲良くなれないんじゃないか
いつまで孤独に生きなくてはならないのか
こんなんで、これから社会に出てやっていけるのか
このような不安がずっと付きまとったまま社会人になりました。
残業300時間の会社で頑張りすぎた話

専門学校卒業後に就職したのは、レストランでした。
そこは今でいう超ドがつくブラック企業でした。
それこそ当時ブラック企業で有名だった「ワタミ」なんか可愛いくらいのレベルです。
ニュース見たときにえっ、家帰れてるじゃん!とびっくりしたのを覚えています。
仕事が終わるのは終電が終わった後、2か月休みなしの60連勤とかもありましたね(笑)
HSS型HSPの典型的な特徴である、
予定詰め込み癖も相まってほとんど睡眠時間はとれていなかった記憶があります。
当時「バンビーノ」という漫画が流行っていて、その影響で街場のレストランに就職しました。
3年間がむしゃらに頑張りましたが、
ある日事件が起きました。
当時のレストランは小さいお店で最初は従業員がいましたがみんな辞めてしまい、最終的に「ワンオペ」
開店準備、仕込み、調理、接客、会計、事務作業
すべて一人での作業でした。
頑張りすぎてすべてを一人で背負い続けていた結果、
常連様の貸し切りパーティーの日に過労で倒れてしまい、お店が開店出来ませんでした。
その失敗から立ち直ることが出来ずに居ずらくなり退職し、気まずいのでその会社での人間関係を全リセット。
最初の方に書いた私の中で凝り固まった根本的な思考回路
「人に評価されなければ自分の存在価値はない」
「失敗をしてしまったら二度と評価してもらうことはない」
これのせいでたった一度の失敗から立ち直ることが出来ませんでした。
そして自分が失敗したことを知っている人と今後どう関われば良いのかわからず、
人間関係リセット癖がここでついてしまいました。
AC克服をするまで、仕事やプライベートで遊ぶグループが変わるたびに直近の人間関係はすべてリセットしていました。
これは今では本当に後悔しています。
度重なる転職、ストレスからアルコール依存症に

最初のレストランを退職後は、職を転々としました。
どこの職場でも退職理由は決まって「人間関係」
自分と同じ水準を相手にも求めてしまって、人間関係がうまくいかない。
なんで自分のことをみんな理解できないのだろう?
言ってること間違ってないよね?
と溜まったストレスが何かのきっかけで爆発してそのまま退職。
一番多い時で1年間で5回も転職しました。
そんなストレスを紛らわすためにお酒に頼ってしまい、アルコール依存症になってしまいました。
当時のことを思い返すと、近年のようにもし身近なところで手軽にドラッグが入手出来るような時代だったら手を出していたかもしれない。
たまたま手に入るものがお酒だった。
そんな精神状態だったなと思い、恐ろしく感じています。
ここで初めて自分ではどうすることも出来ないと思い、カウンセリングを受けに行きました。
内容は一般的なアルコール依存症の治療方法であったため割愛しますが、
あぁ、言葉だけでこんなどうしようも無かった状態を解決してくれる存在が居たんだな。
と感謝とともに、憧れに近い感情を抱きました。
結婚→適応障害からニート→離婚

アルコール依存症から1年半経ち、カウンセリングのおかげで社会復帰出来ました。
ご縁があり、結婚することとなりこれからは人並みの生活を出来るんだなと安堵していました。
結婚から1年経ち、子供が生まれこれからもっと頑張らなければ!
というタイミングで人事異動が決まり、人間関係が一変。
そこで聞こえてしまった、
「仕事は出来てもあぁはなりたくないよな」
という陰口
学生時代に何度も何度も味わった時と同じ孤独感
本当は不愉快だ!やめてくれ!と言いたい。
でも家庭が出来て、子供のためにも頑張らなければならない。
仕事をやめるわけにはいかない
我慢するべきだ
もう26歳になったんだからいい加減社会に合わせなければ
この日我慢したところから心身が徐々にむしばまれていきました。
上司に声をかけようとすると口が乾いて声が出ない。
上司に用事があってもどう声をかければよいのかわからない。
上司の存在が気になり過ぎて今までしないようなミスを連発。
ミスしないように慎重になり過ぎて仕事が遅く、上司に怒鳴られる。
仕事を聞いても嫌な顔をされ、怖くて聞けなくてオドオドしているとトロいと怒られる。
今まで完璧にこなすことで自分を守っていたメッキがどんどんはがれていく。
ある日電車に乗っていつものように通勤していると降りる駅なのに降りることが出来ませんでした。
そのあともずっと電車を降りることが出来ず、何度も会社から着信のある携帯を見て電車の中で過呼吸を起こしてしまいました。
次の日心療内科で「適応障害」と診断されました。
一番最初に思ったのは、
もうこの職場では働けない
そのまま休職→退職となってしまいました。
家族がいる状態なのでなんとか働かなければ、と考えてもどうしても思うように身体が動かない。
当時の妻は子供を連れて実家へ帰り、その後郵送で離婚届が送られてきて
職も家族も失い、本当に独りぼっちになってしまいました。
どん底の絶望へのさらなる追い打ち

心療内科に通い、薬を飲んでも治らない。
貯金もどんどん減っていく。
心療内科から紹介された心理カウンセラーは、所謂モンスターカウンセラーでした。
一通り話をしたあとに、
「かなり悩んでるけど、そんなに悩むことかな?」
「考えすぎなんじゃない?」
「細かいことを気にしすぎなんですよ」
悩んでいる私がバカなのかな…
お金を払って、時間を使って余計に落ち込んでいく
まさに泣きっ面に蜂。
もう一生このままなのかな
もういっそ死んだ方が楽になれるんだろうな
どうやって死のうかな
出来るだけ苦しまずに死にたいな
毎日こんなようなことしか考えられませんでした。
絶望から救い出してくれた一つの言葉

そこでふと、過去にアルコール依存症でお世話になったカウンセラーを思い出しました。
もう駄目だろうけど死ぬ前にもう一回だけいってみようかなと。
そこでカウンセラーに
「今まで本当によく頑張ってきましたね」
この言葉をかけられたとたんに涙が止まらなくなりました。
あぁ、自分は今までずっとこの言葉をかけて欲しかったんだ…
幼少期から声を出して泣けなかった私が、嗚咽しながら泣きじゃくりました。
「やりたいと心から思えることをやることが出来る人生に変えていきましょう」
「今までガマンしてきたんですから、ダウンするのは当然でおかしなことじゃないですよ」
と言われ、そのたびに涙が溢れます。
そこから様々な対話をしていき、
自分がアダルトチルドレンに当てはまっていて、
それが生きづらさの根本的な原因になっているということに気づくことが出来ました。
セラピーを繰り返すことで幼少期に定着してしまった
「完璧主義、MUST思考」が緩まっていきます。
誰よりも優秀であるべき
自分がすべての中心でやるべき
そのためには立ち止まらず努力しつづけなければいけない
○○するべき
○○しなければならない
こういった自分で自分を縛り続けてきた、
完璧でないと認められたり愛されることはないという考えを手放し、
どれだけ努力しても不完全で大嫌いであった自分を好きになることが出来、
自分の本音を主軸に考え行動出来る人生
(Want思考 ○○したいかどうかで考える)
へと変化しました。
母親の愛を呪いと表現したのはこれに気付いた時でした。
「大丈夫なの?」「危なくない?」「もっと普通に。。。」
これが母親の口癖でした。
大人になって、今現在でも新しいことを始めよう、何かを変えようと考えると必ず母親の声が頭の中で流れて来ます。
なので「呪い」と表現しています。
やがて、仕事もプライベートも本当にやりたいことを決めることが出来て、働いても遊んでも休んでもどんどん活力がみなぎる
縁があり、新たなパートナーと巡り会うことも出来ました。
カウンセリングを受けたことで、今までにない充実感を得られるようになりました。
心を癒すだけではなく、現実社会の荒波にも対応できる心のバランス感覚を身につけさせてくれたのです。
一番は心の自己再生機能を持つこと

当時のカウンセリングを受けた直後は確実に
効果は出ているのですが、急激な心の変化に
ついていけず家に帰ると急に不安や虚無感に襲われ、
情緒不安定になることもありました。
いきなり全力で運動をしたかのように、
心も体も思考も全てがついていかない状態です。
生きていれば嫌なことは絶対に起こります。
そんな不安定な状態で嫌なことが起きれば、
元に戻ってしまうのは目に見えていました。
ダウンしていた期間で貯金もほぼ底をつき、
就職も決まったばかりで金銭的な余裕はまったくなく、
カウンセリングに行く機会も物理的に限られていました。
教わったばかりのWant思考で考えてみました。
この充実した生活を続けたいかどうか
→続けたい!
そこで私は、毎日続けられるゆったりとした
潜在意識の変化を中心とした心理療法を学び、
心の自己再生能力を取得します。
当時私を担当してくれたカウンセラーの方針も
カウンセリングを受けずに治せるのならばそれに越したことはない
という方針でしたので助力いただき、最終的にはカウンセラーから離れて症状を克服することが出来ました。
その経験を活かし、必要な知識を勉強し、独立開業しました。
相談者の方が、目を輝かせていく姿に喜びを感じました。
モンスターカウンセラーに当たってしまった辛さを身をもって知っているので余計にそう思いました。
わがままに自分らしく生きる?

私の奥底から引き出した本音は
「今までガマンしてきたことをやりたい」
という気持ちがとても強かったです。
音楽、ゲーム、野球といった趣味を思う存分やりたい
髪を染めたり、おしゃれをしたい
満員電車に乗りたくない
時間、人、場所に縛られたくない
誰しもが少なからず思っているようなことですが、
今まで29年間ずっと抑えてきた気持ちが自分の中で想像以上に大きいことがわかりました。
ただし、当時働いている職場では到底出来ない内容でした。
そのため「本音を実現する障害」になっている原因である「仕事」を「やめる」ことを決断し、
自分の本音に素直に生きていく道を選択し、
今現在このような形で皆様とお会いすることになっています。
そして独立してからもう一つ変化がありました。
「本音を実現したらなんか違った」
好きな事をやっていても、嫌になる瞬間がたくさんありました。
飽きてしまうこともあれば、思ったより楽しくなかったことや、それ自体は楽しいけどそこに付随する人が合わなかったり。
やりたいことをやり続けるのにもエネルギーが必要であり、それに疲れてしまいました。
嫌なことが存在しない世界

一人で自営業をしているので、自由はあります。
法律や大きなルールにさえ触れなければ、基本的に私を縛るものはありません。
それでも嫌な気持ちは湧いてきます。
「これを仕方ないで終わらせるのが大人なのか?」と思うこともありました。
でもせっかく自由を手にしたのだから、もう少し楽しく生きたい!
その思いがどんどん強くなっていきました。
人付き合いをするとイライラしてしまう。
平穏に過ごしたいのに、悪い癖が顔を出す。
どうすれば心の安定を守れるのか、いろいろ試した結果わかったのは、
「楽しいことを増やすより、嫌なことを減らす方が自分には合っている」 ということでした。
楽しい一日は純粋に楽しいけれど、HSP気質の私はとても疲れてしまう。
それよりも「嫌なことが無い一日」を積み重ねた方が、静かで長く続けられると気づいたのです。
そこから私は生活を3つに分けました。
1. やりたいこと
2. やりたくないこと
3. やりたくないけど、やらなければならないこと
この中で「③」を徹底的に減らすことを最優先にしました。
- 家にいる時間を増やす
- 急ぎの仕事を作らない
- 予定を減らし、余白を残す
- 暇だと思った時にだけ仕事をする
こうやって暮らすことで、常に心の余裕を持てるようになりました。
お金はたくさん稼げているわけではありませんが、平穏さには代えられません。
この経験から、私は「本音をどう扱うか」が大事だと気づきました。
今のカウンセリングは、多くが「本音を引き出す」までで止まってしまいます。
けれど、引き出した本音が現実的に実現しづらい場合、その後どうすればいいかを提案してくれる人は少ない。
その結果、また本音にフタをしてしまい、数年後に同じ悩みが再発する人もいます。
だから私は「克服するだけで終わらせない」ために、サロンを開きました。
・自分の本音を引き出すサポート=カウンセリング
・引き出した本音を実現するサポート=コンサルティング
この二つを組み合わせ、現実に即した形で支えていく方針です。
克服するだけが選択肢じゃない


上記の2パターンを中心に相談者の方に合った方法で、
心の自己再生機能を習得してもらいながら、
根本的な問題解決をしていく方針で取り組んでいます。
いくら本音を引き出せたとしても現状では不可能なこともあります。
それを我慢していると、また同じことの繰り返しです。
例えば、私の場合
本音は
「時間や人、場所に縛られずに生きたい」
というものが一番強かったです。
原因は
亭主関白な昭和親父と過干渉な母親に
「雁字搦めにされ強制が多く、自分で選ぶことが出来なかった」
そのため当時の職場では到底達成することは出来ませんでした。
やりたいことを達成するには、「仕事」が一番のネックでした。
就職は他人が作った場所なのでそこでわがままを言うのは、他人の家で傍若無人な振舞をする人間と同列になってしまう
なので、「本音=目的」を達成できるように「過程=仕事」を変えました。
文章にするととても簡素に見えてしまいますが、
色々と失敗や不安を考えてこのような
本音にフタをしてしまっている人はかなり多いと思います。
カウンセリングで根本的な問題を解決出来て、
せっかく本当にやりたいことが見つかったのにあきらめてしまうのはとてももったいないです。
そして、主観にはなりますがそこのケアまでしてくれるカウンセラーは今まで見たことがありません。
アダルトチルドレンは別名でサバイバー(生き残った人)とも呼ばれています。
ここまで読んでくれているあなたはきっと、
今までどんなにつらいことがあっても、苦しくても
ガマンして生き残ることが出来た
忍耐力にとても優れた能力を持っている人です。
そんな逆境、逆風の中で生き残ってこれた現在があるんですから、
- 「やりたいと思う本音」
- 「身に付いてる長所の理解」
- 「それを実現する知識」
があれば自分がやりたかったことを実現するための土台が出来ます!
ここまでくればあとは行動だけ。
本音を引き出し、本当の自分と向き合うサポート
必要な知識の精査、「合理性」や「論理性」での人生設計をサポート
そして、最後に背中の一押しのお手伝いをしたいと思っています。
ガマンの連続で生きづらさを抱えている人が
本当に自分のやりたいことを見つけ、
未来に希望を持つ、未来が明るいものになる。
相談者様のこのような変化が今の私にとってこの上ない喜びとなっております。
あなたもこのような変化を体験してみませんか?
カウンセリングであなたとお話し出来ることを
お待ちしております。
長いプロフィールを最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました。